さて、予定通り(なにかあるとそう書けば、とりあずとりつくろいOK?みたいなものですが、)竜頭蛇尾になっている「オタク論」です。
明日で2008年6月がおわり。
この月は、やはり記憶されるべき月でありましょう。
この6月の、多分大きなターニング・ポイントだと思うのですが、その「意味」は?
それはまだはっきりしない、もう少し寝かせておくべきことかも?
では、私の「オタク論」ももう煮詰まって、自動消化装置で火が止まって、なべが冷えてしまった感じですが、それではあまりにいいかげん(ま、いつものことだが、と?)なので、まとまりがつくまで続けてみます。
岡田斗司夫先生の「オタク学入門」は、2000年以前のもののようで、その論の明快さとともに、「オタク論」の古典というものではないでしょうか。
その中で、オタクの定義がされていて、皆様すでにご存知でしょうが、勝手にかいつまむと、
1、きわめて高い鑑賞眼をもっている。
1-1 粋の目 見所、作品や作家の存在意義などがわかっている。いわば「美」でしょうか?
1-2 匠の目 技術論がわかっている。こじつけて「真」としますか。
1-3 通の目 人間関係、舞台裏事情などがわかっている。これは「善」ということで。
2、関心ある分野を広げていく、また、分野間のクロスオーバーも好む(それがパロディ)。
3、強い上昇意欲と自己顕示欲をもっている。
といったものと、私には読めたのでした。
ちなみに、上で「真」、「善」、「美」にこじつけたのは、私が勝手にしたことで、オリジナルにはありません。
ここで、私が興味をひかれたのは、これらを岡田先生が面白く(本当に、読んでいて面白い!)解説していく途中で、何度も、それらの条件から外れている人をさして、「それはただのマニアだ」「それはただのファンだ」「それはただの○○好きだ」としている点でした。
さて、ここで、今から20−30年前にタイムスリップを・・・まあ「俺、まだ生まれてないし」という方は、想像してみてください。
岡田先生も、そして私も、そして先日死刑執行が発表された宮崎勤死刑囚も、20歳前後、社会に出たあたりのところでした。
もちろん、学校時代にはテレビで「宇宙戦艦ヤマト」や「うる星やつら」を見ていた、いわゆる「オタク第一世代」なのでしょう。20歳ごろ、「マクロス」のオープニングを見て、「おーっ、飛行機に足が生えてロボットになった!この動きは!早い!!」とか驚いていたころです。
そのころの日本、それは、「普通」があたりまえの時代だったのです。
「普通とは?」そんなこと、聞いたら変に思われるほど。
普通とは、学校をでたら、どこかの会社に入り、会社員として生きること。年功序列、終身雇用、定年退職まで。
それに当てはまらないのは、家が農家とか、商店をやってるとか、あるいは先生、医者、公務員の「家系(!)」とか。
とにかく、そういう「事情」が特になければ、とりあえずはどこかの会社に入って社員になり、そのままずっと勤める、という姿が、あたりまえでした。
では、「俺は芸術家になる」とか「漫画家になる」とか言ったり、あるいは「会社が合わないからやめた」とか言って、ぶらぶらしていたら?
それはある面分かりやすく、「不良」とか、「反社会的ポーズを取りたがる、しょうがない若者」という分類になったのです。
「理由なき反抗」はかなり古く、「イージーライダー」もひと昔前のものでしたが、「ツッパリ」が一般に認知されたり。
また、それは「これだから今の若者はけしからん」という理解におさまるもので、それが30代、40代でもという想定がなかった時代だったと思うのです。
これがさらに年配になると、安保反対の学生運動の時代で、「ナンセンース!」とかで反社会的であることがひとつの「あり方」だったのでしょうが、私のころは、高校の部室のすみにそういうアジビラが貼り付けたまま残っていたりしたものの、「運動」そのものはまったく、空気すら消滅していました。
そんな中でも、やはり、うまく全体に合わせられない人、浮いてしまう人、孤立してしまう人というのはいるわけで、そういうことはあっさりと「悪いこと」とされていました。
「そんなことでは、社会の中でちゃんとやっていくことなどできないぞ!」
それは、「生きていけない」と言われるのと同じでした。
実際、だれもがそう信じていたのでしょう。
で、そういう人がアイデンティの問題として、ひとり遊びに深みを求めて進んでいくのは、自然のなりゆきだったのではないでしょうか?
ここでまた、ご理解いただきたいのは、その当時、ネットはなかった、ということです。
個人が情報発信をする方法はごく限られており、そのコミュニティの範囲は、せいぜい学校の範囲とか。
この時代には、本当にホビー誌がたよりで、そこに「売ります・買います」やら「文通(!)相手を求めます。○○が好きな方、いっしょに同人誌を作りませんか?」とか出すしか、なかったのです。
もちろん、電話はありますから、日本中連絡は取れますが、どこに同じ趣味の人がいるかは、分かりようがない。
このような状況の中で、だから、岡田先生が定義するような「オタク」が、自然に、個別に、発生しえたのでしょう。
さて、長くなりすぎました。
続きはまた(って、いつになるやら?)
- 2008/06/29(日) 16:23:37|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
うむ、自分で、無定見に、なりゆきまかせで始めてしまった、自称「オタク論」。
早くも、自分にとって重荷に・・・。
たしかに、この無謀なクワダテをはじめてから、これまでなんとなく見聞きしていたことを、改めて調べてみよう(ま、それはもちろん、ネットで検索できる程度の範囲でですが)ということになり、「あー、そうだったの?初めて知ったわ」と思い知らされることが急に増えています。
そういう点では、いい年して、勉強にはなっているかもしれませんが・・・。
で、自分のモクロミとしては、そろそろオタキング岡田先生の説を勝手に借り出して、それをネタにして、「オタクとマニア」という部分に話を進めていこう、というコンタンだったのです。
ところが、「オタク論」で、一応は検索して回っているのですが、あまり上位ではないところですが、精神分析的な論法で、「マニア」を分析、定義している方が、複数おられるようですね。
もともと、精神分析の分野で、「フェチズム」は、けっこう伝統のある研究対象のようですから、なにしろ書いてあることが、伝統の結果であるいろいろな「専門用語」、つまり「お約束」を知らないと、これはなに言ってんだかさっぱりワカランよ、というもので。
しかし、そこにそういう考察の結果があるのに、それを知らずに、というのも気になるしなぁ・・・かといって、そういう「伝統のお約束」を、案外さらっとつけヤイバで使えるならいいのですが、トシのせいか、そういう「軽チャーな」思い切りも悪くなってきていて・・・と、こうなるともう、「重荷」ですね。気がついたらずしっと。
あるいは、能天気にはねていたら、知らぬまにクモの糸にからめとられてあがいているバッタのような気分?
自分の考えの範囲だけで、やみくもに書き出したのがまだほんの少し前のことなのに、ある面、無知はシアワセか。
どうしたものやら、です。
どうしたものやら、という点では、「6月、景況感が最低を記録」などというのは当然というもので、現実のヤバイ状況のほうが、はるかにヤヴァイのですが・・・。
- 2008/06/26(木) 12:14:42|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ところが、なにげに覗いたサイト(ブログ)に、すでに自分のいだいていた結論が、きちんと書き込まれてあったのでしたぁー!
いやー、まあ、そうだよねぇ。自分の考える程度のことなら、だれかがとっくに書いているに決まっているか。
で、そのブログは、「コンピューターゲームに関する小論」という題名でして、筆者の方はとくにプロフィールを書いていないのですが、内容や文章から見て、その手(どの手だ?ゲームとか?)の業界人の方だろう、と思わせるものがあります。
もちろん、私が無知なだけで、そのスジ(どのスジ?)では著名な方なのかも。
その中の「萌えるオタク論」というタイトルの文章が、まさにずばりの内容でした。嗚呼。
で、それを勝手にかいつまんでやらせていただくと、なぜ、オタクはオリジナル創作発表より、2次創作を好むのか?
それは、目的がコミュニケーションだからだ。
オタクは、その「作品」の、「作品」自体には興味が無い(もちろん、これは簡略化した言い方です。実際には、「作品」の中で「キャラ」を立てるには、やはり作品自体がトータルにすぐれているほうが効果的であるに決まっているので、間接的には、「作品」自体も重要・・・ということは、言わずもがな、という了解でしょう。)
で、オタクは、「作品」の中の「キャラ」にのみ関心があり、「キャラ」を自分でいじることに関心がある。
これは、「キャラ」と自分のコミュニケーションという意味と、同じ欲求を持つ他人と自分とのコミニュケーション、というふたつの意味がある。
と、私の勝手の言い方になっている部分もありますが、以上は、一読して「ガーン・・・」。
いやー、オヂサン、一本取られたよ。ぐうの音もでません、と、死語でごまかすくらいしか思いつかないほど、見事に説明されていました。
もし、まだ未見でしたら、ぜひ。
ちなみに、上は、その「萌えるオタク論」の、後半のごく一部でしかありませんです。実際の本文には、もっといろいろなアイデア、見識が盛り込まれていますので、本当に、おすすめです。
というていたらくですが、まあ、もともと自己満足の代物ですし、しらばっくれて、またぽちぽち続けさせていただきます。はぁ。
- 2008/06/23(月) 15:46:53|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
(*´Д`)ハァハァ
萌え度400%超えちゃったよwwwwwwww
(*^ー゜)b
上はこの前の記事に頂戴した、だれだかのコメントです(もう削除してますが)。
しかし、これでどれくらいの「お客様」がひっかかるのでしょうね。
まあ、マスコミの頂点たる民放のコマーシャルとて、巨大広告代理店が大企業さんから桁のいっぱいならんだ予算をもらって、最優秀のクリエイターを駆使して、結局は「エコです」「地球に優しいって、いいですね」「ぼくたちにもできることがありますよね」等等、気持ち悪いねこなで声で言ってれば、「お客様」がひっかると思っているわけだから、同じようなもの?
と、けなしたら、「では、何をやったらいいって言うんだ!」と言われるでしょうね、きっと。
それはまた、身分の上下はあっても、お互い様かも。
フィギュアとて、「相変わらず脱がしモノを作ってりゃいいと思っている」とけなされたところで、じゃあ、なにをやったらいいんだ!というものですから。
さて、また話のずれたおちゃらけを書いていますが、しばらく、お役所関係の書類仕事をやらなければなりませんもので、こんなところで、申し訳ございません。
年をくって来ると、自分には関係ないように思っていた、いろいろな社会のしがらみの用件が回ってくるもので・・・。
世の中的にも、おととい金曜にアメリカ株がまた暴落したというのは、なにか不穏に感じさせます。
また大変化の兆しなのか。
かといってどうできるわけでもなく、結局は日々同じようにやることになるのですが。
しかし「店長ブログ」で、こういう酔っ払いオヤジのクダ巻きみたいなことを書いてちゃ、いけませんね。
多分、懲りないとは思いますが。
なお、「記事を保存」した時にようやく気が付いたのですが、今回の記事の打ち始めに、まちがって「消した」と思った段階のものが、消えたのではなく、アップされていたのでした。
きまり悪いのでそれは削除してしまいましたが、意外と、そうやって気が付かないでやってしまったハプニングのほうが、笑いを取れたりしますからね。
でも、どうも妙に恥ずかしいのですね、やった側としては。
- 2008/06/22(日) 16:08:19|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
前回、「2007年後半から、つまり初音ミクから」等と書きましたが、この変化は、その前のトレンド、そう、例の「涼宮ハルヒの憂鬱」から、生じていたのだろうと思います。
しかし、これは大きなトレンド変化なので、「涼宮ハルヒ」のときは、まだ、それまでの流れ方とも重なっていたのでしょう。
初音ミクのヒットがはっきりして、商品が品薄になった・・・と、こうなると、これまでのパターンであれば、あちこちに電話しまくって、「あのーぅ・・・○○の○○ってぇ、ないですかぁー?絶対に、欲しいんですけどぉー」と聞いて回る人間が出たり、ヤフオクで関連商品も含めてやけに高騰したり、というはずのものでした。
しかし、私の受けた感じとしては、初音ミクについて、では、「俺はもう、初音ミクの○○をゲットしてるんだぜーぃ!やったね!レアだね!これで俺は勝ち組」といった、「自分だけが」というノリ、それはこれまで当然の原理だったはずですが、なにかそれが、非常にそぐわなくなったように思えたのです。
むしろ、ソフト自体なら再販を、フィギュアならねんどろいどの製品の発売を、全員で粛々として待つ、この、全員で一致粛々として、という雰囲気こそ、もはや主体となった、と思えたのです。
ここで、ジジイの昔話に入ってしまうと、コルセアを始めた10年ほど前は、通常店舗のつもりでしたので、秋葉原八十八箇所のお遍路巡礼(当時)のついでに、当方にも立ち寄られる方が、やはりいらっしゃる。
そのなかには、いわゆる「クール・トイズ」な方がいて、「メゴ社のぉ、猿の惑星をさがしてるんですけどぉー」というのが、ほとんど例外のない決まり文句でしたね。
今となってはなつかしい・・・。
ところが今日、こんなことをブログで書こう、と思っていたら、電話で、若い女性の声で、なにか棒読みのような調子で、「初音ミクの○○○のガレージキットがありますか?」というお尋ねが。
彼氏に頼まれでもしたのでしょうか?だとしたらすごくけなげだけれど、その彼氏はやめたほうがいいんじゃないの?とか内心で勝手に暴走。
しかし、もちろん、「すみません、その商品はありませんし、当方は今、HPでの販売のみですので、宜しかったらそちらを・・・」といういつものお詫びで終わりでした。
さて、次回(が、あれば)は、オタキング岡田先生の御説をさぐってみようかと。
(いや実際、首締まりすぎてて、もういつ死んでもおかしくない状況なんですけど・・・なにずれたこと書いてるんだか。我ながら)
- 2008/06/19(木) 19:32:20|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日はまだ一応、「ホビー誌」と言えるものを品だししています。
今後は、趣味の本にこじつけて、とりあえずある本の処分ということで出させていただきますので、あまりどれも保存程度が良くないのがなんですが・・・。
さて、自己満足の「オタク論」に戻らせていただきまして、しかし、いつ尻切れでとぎれるやらですので、先に結論からいってしまおうかと。
私の結論としましては、「オタク」とは、他者とのコミュニケーションを求めることなのだ、と思っております。
やはりオタク論といえば、オタキング岡田先生なのだろう、と思って、とりあえずネットで掲載されているものをあれこれ読んでみました。
いや、ネットだけでは失礼だと思って、一応本屋でも見て回ったのですよ。
しかし、岡田先生の本で今本屋にあるのは、あの大ヒットの「デブだと思うなよ」だけですね。
オタクイズデッドで、大泣きされた後にいきなり「でもこれを読めば大丈夫!」と営業を始めたという「プチクリ」という本を見たかったのですが、秋葉原の大型書店でも、データベースのリストには2005年刊、と記載があるものの、在庫はなし。
なので、とりあえずはネットの掲載をたよりに。
もともと、自分の感じ方は、岡田先生と同じ方向だったのです。
岡田先生は、オタクがアイデンティの問題だけになってしまったのは嘆かわしい、だからオタクイズデッドだ、と言われているようです。
私も、オタクを(今の・・・具体的には、初音ミクから、つまり2007年の後半からなのですが)レギオンやらゴーレムやらになぞらえるのは、「祭り」とか「KY」とかをルールにして、全員がいっせいに動くことがオタクの行動パターンになったのか?と自分が感じて、それが自分には変に思えたからです。
ところが、岡田先生の「オタク学入門」とか、東大で講義したものやらを読んでいると、「いやー、そうかな?それもまた何だ、ちがうように思えるぞ。ということは、今の状態こそ、つまりモノやら作品やらはコミュニケーションを持つための手段、方便であって、コミュニケーションすることが目的である、ということが最初からのオタクの本質だったのではないだろうか?」と思えて来たのでした。
(ま、日和見ですね)。
なので、ここから先は、岡田先生の論を使わせていただいて、それにあれこれ難癖をつけるかたちにしようかと。
そうすると、私のようなシロウトにも、話を作りやすいのです。
そんなふうにもじって使われてしまうのも、プロだから仕方のないところ、と岡田先生にはご勘弁いただきまして(続く、か?)。
- 2008/06/17(火) 19:41:58|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ナスwwwwwwww
(;゜∀゜)=3
よwwww
るしΣ(´Д` )ナンジャソリャ
ウマかったわぁ(゜Д゜)y─┛~
先日のブログの「コメント」でした。
要は迷惑メールと同じ、エロ・サイト宣伝で。
べつだん削除するだけですが、なんだか、見ていると、どこかのオッサンが、とりあえずどんな風にすれば今の若者風になるんだろうか?とあちこち見て、つなぎ合わせて作ったような感じがして。
努力が感じられるのですよ。
おもろうて、やがて哀しき・・・という風情でしょうか。
私は最初から面倒に思えて、絵文字は使わぬままなのですが、見習わないといけませんね。
わぁ(゜Д゜)y─┛~とか?
- 2008/06/16(月) 18:12:01|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
すでに動いておりますが、先日の、追加・先にご注文済みと同送を希望、のチェック・マーク機能、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
なお、先のご注文分がすでに発送・発送準備に入っていますと、その段階で「追加・同送」はやはり難しいものがありますので、どうぞ、最初のご注文は、「取り置き」状態にしておいてください。
今回のコルセアHPの直し、「予算は限りなく小さい」が前提でしたので、なりゆきで、できたところでいいや、という、出たとこ勝負的な気持ちもあったのですが、できあがりを見ていると、けっこう自己満足。
本当は、デザイン部分の文字ごとにリンクがある、「ジャンク」ならジャンクへ、「買取」なら買い取りコーナーへと、とかしたかったですが・・・それを言えば、デザイン部分で、だんだん色が変化するとか、一部動いているとか、ハートや爆発マークがランダムに出るとか、ただのアイデアならいろいろありますが、アイデアはただでも実作業はただとはいきませんので、こんなところで。
で、私は、なんだか放置状態になっていた、古本のコーナーをいじり直したり。
本関係は、今後、方向・ジャンルはばらばらですが、出したいと思っております。
といっても、自分のものの整理というのが正直なところでして、本関係の「買取」までは、今のところできません。申し訳ございません。
で、以前から品だしはされていた、Tales of Joker のシリーズを、再整理のついでにぱらぱらと見返したり。
これは、形としてはマンガ雑誌となるのですが、永野護先生という、あまり安易に「天才」を使うのは良くないかもしれませんが、明らかに高度な才能・能力をもつ作家さんの作り出した「世界」そのものなので、通常の雑誌とはまったくちがう性質のものだなー、とか漠然と。
でまた話はそれるのですが、先日、もはや大昔の、学校からのパンフが来ていて(要は「寄付金をチョウダイ!」とかいうあれですね)、おや?と思ったのは、やはり多少は「読み物記事」が載っているわけで、だいたい、その学校の卒業生で、功成り名を挙げた人が紹介されるのがパターンなのです。
で、そこに、私とクラスが同じだった人がでていて、へぇー、と思って。
その方は、今はずっとドイツに在住で、書いてあることからすると、「日本では、刺激的で面白いことがまず求められてしまうので、本質的な「美」というものをビジネスでやっていくことは難しい面がある。そういう点では、ドイツでは理解が得られやすいから、ドイツにいるのだ」ということと受け取りました。
なるほど、と思いつつ、やはりオッサン化した(といっても、レベルはワタクシとは雲泥ですが)その方の顔写真を見ると、「自分の理想に生きる国際人」という姿に、ふと思ったのは、「ああ、この方には、なにか見えている事があるのだろうな。でも、自分には、彼に見えていることが理解できないだろう。自分には、彼が見ているものは見えないだろう。一方、自分には、それはそれで、やはり自分にとって見えている事がある。しかし、それは他人様には見えないし、見てももらえないことだろうな、と。
そういうものでは、と、私は急に思うようになりまして。
それは、どのような「天才」であっても、あるいは凡人であっても、誰でも。
ま、いつものやくたいもないたわごとで。
失礼しました。
明日、6/14(土)は、定休いたします。
- 2008/06/13(金) 20:48:06|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
すでに昨日変わっておりますが、表紙デザインを変更しました。
今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
また、すでに停止にしていた「アダルトフィギュア掲示板」のボタンも削除。
今回の変更では、まだこれからですが、ご注文の際、「先のご注文・お取置き品に追加」というのが、実務面での一番の問題になっておりました。
そこで、ご注文のフォームに、「すでにご注文済み・取り置き品があり、それと同送を希望」といったチェック・ボックスを作り、それがイエスになっていれば当方で確認を、ということではどうでしょうか?というので、やってみようと思っています。
これで、少しでも、お客様に便利になるといいのですが。
なお、自動的に名寄せ統合チェック、というシステムがあればもっとスムーズなのですが、それは当方では大変すぎるシステムで、申し訳ございません。
実際、そういうシステムがあるのは、世間でも銀行ぐらいではないかと。
で、昨夜、システム会社さんに「デザインOKです」という返信をした瞬間、いきなり実際のHP画面が切り替えられて、びっくり。
いや、なんというか、「いつから切り替えますか?」とか1段階あると思っていたもので。
システム会社さんの当方担当の方は、今度変わりました、といって、先日社長さんがわざわざ連れて挨拶にこられたのですが、大変若くてきれいな女性の方で、職場での性差別はけしからんわけですが、いったい本当に当方コルセアなんぞに来て、平静な様子はされていたけど、本心ではどう思ったのだろうか?と。
手遅れですが心配ですよ。
さて、「美少女フィギュアの」という押し出しが後退して、かわりに「中古ホビーの」という感じにしましたが、これもある面やむない流れかと思っています。
とはいえ、商品内容がそれ以前と変わったわけではありませんので。
今後とも、美少女フィギュアをメインでやっていきたい(なるべくなら、アダルト・ガレージキット関係も、なんとか継続したいです・・・難しいのが現状ではありましょうが)と思っております。
どうか今後とも、宜しくお願い申し上げます。
- 2008/06/11(水) 17:04:43|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「秋葉原とオタク」についてうんぬん、と今さらに書き出したとたん、その数日後の今日、「秋葉原に通り魔事件」の報。
第1報を目にしたときは、すでに「いつあってもおかしくないな」と言われていたことだけに、またなにか、だれかが仕組んだネタ?と、一瞬思ってしまいましたが、その後、ニュースは刻々と書き換えられて、「被害者に心肺停止も」という文字を見れば、もはやネタやシャレどころではありません。
私は、「偶然の一致」に、意味があると思ってしまうほうなので、今回の事件も、なにかの大きな意味を生じる原因になるのかも、と、漠と感じています。
しかし、今はまだ分からないことの多い段階(秋葉原を回ってこちらに商品を取りに来た方に聞いても、そういえばなにか騒いでいたけど、ぜんぜん知らなかった、ということでした。案外そういうものでしょう。)ですし、今はただ、事件に巻き込まれた方の被害が、いくらかでも軽いことを祈るばかりです。
このブログもしばし止めて、この事件の詳細と、「その後」を、もう少し知ってからにしたほうが、良いように感じています。
- 2008/06/08(日) 16:29:54|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
変な文章を書き出してしまった・・・ところで、これで第2回目。
すでにどうしていいか分からなくなっていたり。
ま、明日、6/7は土曜定休につき、また、考えてみましょう。
秋葉原の「となり」という微妙な地点で、10年見続けていたのであれば、それがなにであったのか?を自分なりに書いてみたい、という欲望は当然のようにあったのですが、それが分不相応のことで、どうせすぐに破綻するだろうから、やめとこう、という気持ちもまた当然というものでありました。
その愚挙をついに始めてしまったのは、いつもお世話になっております、安眠ガレキのばぁー、いトやす先生の「日記」に刺激されてのことで、これがいわゆるMixiなので、見ることができるならば、ぜひ、ご覧いただければ、現在の、現時点の「オタク」についてのリアルタイムの考察が、とても参考になるものです。
自分自身、このMixiも、先生に教えてもらったものの、「はまる」という境地になれず、「コルセアさん」はぺんぺん草状態ですが、現在のオタク、現時点のオタクを教えていただくために、先生の日記は覗かしてもらっています。
特に、先日の、「村上隆の「オタク・アート作品が10何億円で落札された」について、本来、オタクにとっての価値はキャラクター、物語性、文学性なのに、それをはぎ落としてしまっているから、村上隆の作品は、オタクにとっては意味が無い、という指摘は、ああ、そうか、と、思わされたのでした。
ちなみに、私の駄文は、コルセアが秋葉原の「となり」であるように、自分自身が「オタク」からもずれて外れているのだろうけど、それは全体としてはどうなっているのだろうか?というごく個人的なテーマなのですが・・・「そ・れ・は・オマエがユーチューブも使えない程度の奴だからだ!」と自滅つっこみ。
ユーチューブも、これも安眠先生に教えてもらっていたのに、なにか理解しないままで、今回、この駄文のために、急に見始めたありさまです。
なにしろ、先日、初めて、「ウマウマ」というのも見たし、東方○○伝のシリーズも見て、で、なんでも昔のネタと結びつけたがるのが年寄りの性癖なので、「縦スクロールのシューティングというと、ゼビウス?」とか、「このウマウマというのは、レナウンのワンサカワンサカ・イエーイイエーイみたいなものかね?」とか。
ま、所詮その程度、ということで。
- 2008/06/06(金) 20:14:46|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ご無沙汰しております。
また、「かずま」様には、まじめなコメントを頂戴し、ありがとうございます(まじめな・・・というのも何ですが、だいたい迷惑メールと同じインチキ・コメントばかり、雑草のように生えてきますので、つい)
このブログも、約1ヶ月前に駄文を書き並べ、以後ずっとほったらかし、という有様でした。
しかし、いまだに天下のグーグル様では、「コルセア」を検索しても当方の本HPが出る見込みはなく、しかしこのブログは割と早く検索されて出てくれるので、では、こちらも書いたほうが得なのか?という打算で・・・ま、ものは言いようなので、「企業努力」ということで。
それにこの1ヶ月、いやそれ以前からですが、いろいろ日々思うことといえば、まずネガティブ、状況に対して悲観的なことばかりなので、そんなことをネタにうかつに思いつきで書き出しても、収集つかなくなって自滅でないの?と、つい思いとどまっていました。
で、それをあえて書き出そうというのでは、これはもはや自滅前提、いつも粘土やエポパテを手に持つと、数日後には放り出してそれっきり、というのが繰り返しの行動パターンですが、ここもそういうことで、お願い申し上げます。
さて、このタイトルのテーマですが、これは「初音ミク」のヒットから、つまり2007年の後半ごろから?感じ始めたことです。
そのころは、これを「レギオン」と例えていましたが、レギオンは、もとはローマ帝国の軍団でもありますが、「ゴジラ」に出てきた怪獣ですね。
しかし、ふと、「ゴーレム」のほうが自分としては合っていると思ったので、勢いでスタートしてしまいました。
ゴーレム、そのネタは、ホラー作家、クライブ・バーガー先生からの借用です。
クライブ・バーガーは、「ヘル・レイザー」シリーズの原作・映画監督をしていたので、ご存知の方も多いでしょう。
私はその初期の代表作、「血の本」が大好きなのですが、(以下、ネタばれがあります。ご注意ください、と、お約束)そのなかの1篇で、大勢の人間が組織的に、組み体操のようにして、生きた巨人像を作り出す話があります。
なんでそんなことをするかというと、それが、「これ以上わくわくすることは有り得無い冒険、奇跡、歓喜に満ちているから」で、その、ヨーロッパの平原の中にひっそりとある、他に知られていない街で、全員参加の秘密の祭りとして、ずっと昔から引き継がれ、だんだんと精巧さ、巨大さを増していった、という設定です。
そして、となりの街の、やはり全員参加で作り出された巨人と戦いごっこをして、勝ち負けを決めて祭りが終わる、という伝統であることが説明される。
そこにたまたま旅行者がまぎれこみ、この驚愕の奇跡を目の当たりにするが、事故で・・・また、発展、発達し続けたものが、限界に来て、ついに崩壊し始める、ということが多分本当の理由で、「巨人」は、「歓喜の奇跡」から、街の人間全員の、大規模な死へと変化していく、という感じの話ですが・・・。
さて、続きを書くかどうか?まるでアテになりませんが。
- 2008/06/05(木) 17:52:11|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0